一条 信竜
いちじょう のぶたつ
1530?-1582
享年53?歳。


名称:右衛門大夫、上野介


居城:上野城

武田信虎の九男として、誕生。兄・信玄の異母弟。
鎌倉時代以来の名門である一条家の名跡を継ぐ。
市川上野城を居城とし、本国・甲府の南方の備えとした。
200騎を率いる侍大将で、山県昌景・馬場信春ら武断派に列し、武田騎馬軍団の一翼を担った。

1570年頃から信玄の指示により、信長包囲網を形成すべく、大和の松永久秀、摂津の石山本願寺ら反信長派との交渉に当たった。
信玄死後、勝頼の多大な信頼を得て、武田家新領土である駿河抑えの要である駿府城代を任される。
徳川領と接する拠点・田中城代には信竜の嫡男・信就が就くなど、一族で勝頼から実力の高い評価と厚い信頼を得ていた。

1571年(元亀2年)5月、信玄が将軍・足利義昭の側近に出した信長追討の書状に信竜の添え状があり、名門として外交の面でも活躍を見る。

1582年(天正10年)2月末、織田信長直々による甲州攻めが押し寄せると、信竜も徳川家康の侵攻を受け、駿河を撤退。甲斐の自領へ後退している。

同年3月10日、上野城を徳川軍が攻め寄せると信竜軍は無惨にも敗退。信竜は戦場に散った。
武田家一門として、主家と運命を共にし、滅亡した。