井上 元兼
いのうえ もとかね
1500?-1550

名称:源太郎丸、弥坂兵衛、河内守

■安芸の有力国人。
毛利家家臣であったが、毛利家家臣
団の3分の1にも及ぶ勢力を誇った。
もしも、元就が戦国屈指の智勇の将
でなかったならば、当然の如く、下剋
上が起こっていたことだろう。

それほどまでに勢力のある井上氏に
対しては、主君・元就とて慎重な扱い
を強いられた。

■1523年、毛利氏で相続問題が起こると
元兼は元就相続に尽力した。

若き毛利家当主・元就を補佐し、安芸
への勢力を高めようとした元兼であっ
たが、以外にも元就の才知はすぐれ、
元兼が毛利家をいのままに動かすと
いうことにはならなかった。

■しばしば、元就と元兼は意見の食い
違いが起き、元就の命令に従わない
ことが起きた。

これを毛利家の結束に悪影響を及ぼ
し兼ねないと考えた元就は1550年、
当時、毛利家は大内氏の勢力下に
あったことから大内氏の許諾を得て、
井上元兼とその一族30余名を断罪
に処した。

これにより、毛利家家臣団の結束は
固くなり、同時に元就の権勢は強化
された。

元兼とその一族が元就に討たれた
ものの井上氏全体が滅せられたわけ
ではなく、その後も井上氏は毛利氏
家臣として活躍していくこととなる。