あまご よしひさ
1535?-1610
享年76?歳
名称:三郎四郎、右衛門督
居城:出雲国月山富田城
■尼子晴久の長男として生まれる。嫡子として
尼子家当主として期待を受けて育つ。
父・晴久が毛利氏との合戦で石見へ出陣中に
病没すると義久は尼子家の家督を相続。
中国地方の有力大名として家中を切り盛りする大役を担う。
家督相続するも、毛利氏の圧倒的な攻勢の前に
幾度も敗退を重ね、所領維持が困難となる。
義久が籠もる難攻不落を謳った月山富田城も、
毛利氏の激しい攻勢で次々と支城を落とされ、
孤立無援となっていった。
出雲十旗を構成する赤穴城が1562年に毛利氏に
より陥落。1563年には白鹿城が陥落し、
月山富田城は海からの補給路を断たれてしまう。
義久が家督を継いで7年間、毛利氏との激しい抗争も
1566年11月に月山富田城の降伏開城によって
終止符を打つ。
義久は、毛利氏に降伏後、毛利氏に仕え、
尼子氏の家名存続を果たす。