あまご かつひさ
1553-1578
享年26歳。
名称:孫四郎
居城:上月城

■新宮党の嫡子・尼子誠久の子。
1554年元旦、新宮党が尼子晴久によって

滅ぼされると、勝久は小川重遠によって、

助け出され、その後は上洛して東福寺に

入れられ、僧となる。

■尼子家本拠の月山富田城が陥落したことから、

上洛していた尼子家家臣・山中幸盛、

立原久綱らに擁立され、1568年、勝久は還俗して、

尼子姓に復す。以後、勝久は山中ら尼子家家臣たちと

ともに尼子家再興を目指すこととなる。

■1569年6月、勝久らは、隠岐から出雲新山城へと入る。
 1570年2月、布部山の合戦で毛利軍に敗北し、

勝久らは再び京へと赴く。上洛後、織田信長を頼り、

その力を借りて、因幡から出雲回復を目指すも、計略は失敗。
 織田家の羽柴秀吉に属し、1578年3月、

上月十郎を討伐し、播磨作用郡の上月城城主となる。
 毛利軍の猛攻を受けるがよく堪え忍び、織田軍の

援軍を待った。

しかし、秀吉の必死の援軍嘆願もむなしく、

信長の引き上げ命令が下り、上月城は見放されてしまう。
 1578年7月3日、上月城は陥落し、勝久は自刃して果てた。