いなば いってつ
1515-1588
享年74歳。
名称:通以、通朝、貞道、長道、良通、彦六、
似斎、洪圭斎、法印、宗勢、右京亮、
伊予守
居城:美濃国曽根城→美濃国清水城
■美濃国人・稲葉通則の子。
母は国枝正助の娘。兄弟が多かったため、
一鉄は幼少の頃から美濃国崇福寺に入れられて育つ。
1525年牧田合戦にて、父と5人の兄が
浅井亮政と戦い戦死すると、一鉄は還俗して
稲葉家の家督を継ぐこととなる。
以後、西美濃三人衆の一人に数えられ、
氏家卜全、安藤守就と共に土岐氏、斎藤氏に
仕えて活躍する。
道三に重用された一鉄は、道三の妹を娶り、
斎藤家で重きを成した。しかし、道三と義龍が
不和となると、いち早く義龍側に回り、保身に務めている。
■義龍没後、その家督を継いだ龍興の放蕩無能振りを
見て、一鉄はこれを見限り、織田信長に内通。
1567年の稲葉山城攻めに功を挙げた。
以後、一鉄は織田方の武将として活躍していく。
石山合戦、越前攻め、長島一向一揆征伐、
長篠合戦など数々の合戦に参加し、武功を挙げていく。
合戦で武功を挙げた一鉄は、戦術に長けるだけでなく、
文才としても非凡な才能を示した。
一鉄は、安藤守就と共に信長への謀反の嫌疑を
かけられた。信長は一鉄の真意を確かめようと
茶室に招いた。
一鉄は床に掛けられた禅僧虚堂智愚の墨蹟の
詩を読み、己の真意を説いた。すぐれた文才を
示した一鉄の人物を惜しんだ信長は、謀反の
嫌疑を不問に付したという。
1579年、一鉄は嫡子・貞通に家督を譲り、
清水城へ隠遁した。
本能寺の変後、一鉄の領土に侵攻してきた
安藤守就と合戦となり、これを打ち破っている。
信長没後は、秀吉に仕え、小牧・長久手の戦いでは、
敗北に憤怒した秀吉を諫めた。後にその忠勤振り
を賞されている。
1588年、居城・清水城にて没す。