うじいえ ぼくぜん
1519?-1571
享年53?歳。
名称:友国、直元、常陸介、貫心斎卜全
居城:美濃国楽田城→美濃国牛屋城

■牧田城主・氏家行隆の子。

 母は土岐氏の重臣・長井家の娘。
 土岐頼芸に仕え、土岐氏が美濃から

 追放されると斎藤道三に仕えた。

 その後、義龍、龍興と仕え、西美濃三人衆の

 一人に数えられた。

 1564年頃から信長に内通。安藤、稲葉らと

 共に信長へ寝返り、1567年に信長が

 稲葉山城攻めを行うとこれに従い、武功を挙げた。

■斎藤家が滅ぶと、卜全は剃髪して、

 貫心斎卜全と称した。以後、信長の命に従い、

 各地を転戦する。
 伊勢大河内城に北畠具教を攻めて功を上げ、

 比叡山攻めにも参加。

 1571年5月、伊勢長島一向一揆討伐に

 参軍した卜全だったが、織田方が敗走すると、

 卜全は殿軍を務め、奮戦した。
 しかし、一揆軍の猛追撃と部下の裏切りに

 よって、卜全は石津郡太田にて戦死した。