安東家
あんどうけ
居城:出羽国土崎湊城
家紋:檜扇に違い鷲の羽
津軽の豪族から、勢力拡大を図る
古くは、安藤とも古文書に見える。康平5年(1062)の前九年の役で敗死した安倍貞任(さだとう)の末子・高星(たかあき)が津軽地方へ逃れ、その子孫が津軽西部に勢力を拡大させた。
津軽の十三湊(とさみなと)を本拠とし、安東一族は、津軽から出羽にかけて、一円の勢力を誇った。
その後、南部氏に勢力を圧迫された。
室町時代に入ると、出羽国秋田郡などに勢力を誇り、戦国大名として、割拠した。
その後、郡名の地名を取って、秋田姓を称した。
豊臣秀吉が天下統一を成すと、所領安堵を得た。
関が原の戦いを経て、佐竹氏が常陸から秋田の地へ入封すると、秋田家は、常陸の宍戸(ししど)5万5000石に転封された。
その後、陸奥三春に転封となり、そのまま明治維新まで維持した。