おがさわら ながたか
1488-1544 享年57歳。
別名:豊松丸、左京大夫、彦五郎、右馬助
府中小笠原家にして信濃守護である小笠原貞朝の長男として生まれる。
母は武田氏の娘。
父・貞朝は、先妻にして、武田氏の娘との間にできた長高を廃嫡にし、後妻の海野氏との間に生まれた長時を後継者とした。
そのため、長高は、尾張知多郡へ出奔。後に三河幡豆郡に移り、吉良義堯、ついで駿河の今川氏親に仕官する。
今川氏より遠江国浅羽荘を拝領し、馬伏塚城主となる。
後に長男の小笠原春義に家督を継がせた。