おがさわら はるよし
1510?-1572 享年63?歳
別名:豊千代、與八郎、彦太郎、左京太夫、春茂
小笠原長高の長男として生まれる。
1521年大永元年、高天神城主であった福島正成が今川氏親に離反し、独立すると春義は、福島討伐軍を起こし、みごと正成を打ち取る。
この功により春義は高天神城主となり、今川氏親の娘を正室に迎えた。
春義の子には、小笠原氏興、福島綱氏(福島基綱の養子となる)、小笠原清広(庶子のため別家を開く)、小笠原義頼(氏興の子・信興の跡目を継ぐ)がいる。
清広、義頼の家系は、ともに江戸時代に、紀州徳川家の家臣となっている。