うやま ひさかね
1515?-1566
享年52?歳。
通称:飛騨守
尼子家の筆頭家老。
尼子晴久・義久に従い、1540年、毛利元就がこもる安芸国吉田郡山城を攻める。
1555年小笠原氏救援に参軍する。
1560年本城氏救援に参軍する。
1566年、月山富田城の籠城戦の最中に主君・尼子義久の側近の讒言により、嫡男・弥四郎とともに誅殺される。
一説に毛利元就の離間の計により、誅殺されたともされる。
久兼の誅滅を契機に尼子家中は内部分裂し、尼子家滅亡の要因となる。
久兼の次男・久信は難を逃れて、毛利氏に付き、家臣となる。
久兼は籠城中、私財を投げ売って、兵糧を買い集め、城兵に配る慈愛の将であった。