関東公方(かんとうくぼう)とは?

関東公方(かんとうくぼう)とは、室町幕府が関東地方を統治するために設置した、足利将軍家の一門による地方統治者のことです。京都の室町幕府とは独立した政治機構を持ち、鎌倉府(かまくらふ)を拠点として関東地方の支配を担いました。

関東公方は、室町幕府の将軍に次ぐ地位とされましたが、幕府(京都)と関東公方(鎌倉)の対立が激化し、最終的に幕府の統制から離れて独立勢力化しました。この結果、関東地方は長期間にわたり内乱状態に陥り、戦国時代への道を開く要因の一つとなりました。


1. 関東公方の成立の背景

wikipediaより参照:足利基氏像

1)鎌倉幕府滅亡後の関東支配

  • 1333年、鎌倉幕府が後醍醐天皇と足利尊氏によって滅ぼされる
  • その後、足利尊氏は室町幕府を開いたが、関東地方には鎌倉幕府の旧勢力(北条氏の残党や関東武士団)が強く残っていた

2)関東の統治機関「鎌倉府」の設立

  • 尊氏は関東の統治を安定させるため、1336年に「鎌倉府」を設置し、弟の足利直義(ただよし)を鎌倉に派遣
  • その後、室町幕府2代将軍・足利義詮(よしあき)の時代に、足利基氏(もとうじ)が関東に派遣され、「関東公方」の初代となる

3)関東公方と関東管領の設置

  • 関東公方:室町幕府の足利将軍家の一門で、関東地方の総支配者。
  • 関東管領(かんとうかんれい):関東公方を補佐し、実務を担当(上杉氏が世襲)。

この体制により、室町幕府の統治は、**京都(将軍)と鎌倉(関東公方)**の二重支配となった。


2. 関東公方の役割と権限

wikipediaより参照:足利氏満像

関東公方は、幕府から派遣された存在ではあるものの、次第に関東独自の権力を持つようになり、幕府と対立するようになります。

1)関東地方の統治

  • 関東公方は、幕府の命を受けて関東八カ国(下野・上野・常陸・下総・上総・武蔵・相模・伊豆)を統治
  • 関東武士の統率や、領国経営を行う。

2)軍事指揮

  • 幕府の命令で軍事行動を起こし、地方の反乱を鎮圧。
  • 幕府の軍事的支援を受ける立場だったが、次第に独自の軍事力を持つようになる。

3)幕府との関係と独立志向

  • 初期の関東公方は、室町幕府の将軍を補佐する立場だったが、次第に幕府の統制を嫌うようになり、幕府に反抗する勢力へと変化。
  • 15世紀以降、**関東公方 vs. 幕府・関東管領(上杉氏)**の対立が激化。

3. 歴代の関東公方とその動向

wikipediaより参照:足利持氏 自害の図

関東公方は、足利基氏を祖とし、その子孫が代々継承しました。しかし、代を重ねるごとに幕府と対立し、関東の争乱が激化しました。

1)初代・足利基氏(もとうじ)

  • 1352年、2代将軍・足利義詮の弟として鎌倉に派遣され、初代関東公方となる
  • 関東管領・上杉氏と協力し、関東地方の統治を安定させる
  • 幕府と協調路線をとったため、大きな争いはなかった。

2)2代・足利氏満(うじみつ)

  • 1387年に関東公方に就任し、独自の支配体制を強化。
  • 幕府の指示を無視し、関東公方の独立性を高める方針をとる。

3)4代・足利持氏(もちうじ)

  • 幕府と最も対立した関東公方。
  • 1438年、「永享の乱」が勃発。
    • 幕府に従わず、関東管領・上杉憲実と対立。
    • 6代将軍・足利義教が鎌倉を攻撃し、持氏は敗死。

4)5代・足利成氏(しげうじ)

  • 足利持氏の子で、父の仇を討つために幕府と対決。
  • 1454年、「享徳の乱」を起こし、関東管領・上杉氏と対立。
  • その後、鎌倉を追われ、古河(現在の茨城県)に移動し、「古河公方(こがくぼう)」を成立

4. 関東公方の分裂

関東公方は、足利成氏の代から幕府と完全に対立し、関東地方は分裂状態に陥りました。

1)古河公方(こがくぼう)

wikipediaより参照:古河公方館址

  • 足利成氏が関東公方を追われ、古河(茨城県)に移動し、新たな政権を樹立。
  • 以降、足利氏の子孫が「古河公方」として関東で存続。

2)堀越公方(ほりごえくぼう)

  • 幕府は、関東の支配を取り戻すため、足利政知(まさとも)を伊豆・堀越に派遣
  • これにより、「古河公方 vs. 堀越公方」の対立が発生。

5. 関東公方の衰退と戦国時代の到来

1)北条氏による関東支配

  • 16世紀になると、関東公方の勢力は衰え、代わりに後北条氏(小田原北条氏)が関東の覇者となる
  • 1552年、古河公方・足利晴氏(はるうじ)が北条氏に従属。
  • 1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏が滅亡し、関東公方の勢力も完全に終焉。

2)徳川家康による関東統治

  • 1590年、徳川家康が関東に入封し、関東地方は完全に幕府の支配下に入る
  • これにより、関東公方の伝統は完全に消滅。

6. まとめ

関東公方は、室町幕府が関東地方を統治するために設置した将軍家一門の地方統治者でした。しかし、次第に幕府の統制から離れ、独自の勢力として関東を支配するようになります。

「永享の乱」や「享徳の乱」などを通じて幕府と対立し、最終的には古河公方と堀越公方に分裂。その後、戦国時代に入り、北条氏の台頭によって関東公方は歴史から消えました。

関東公方の混乱は、関東地方が戦国時代に突入する要因となり、最終的には徳川家康による関東支配へとつながる重要な歴史的役割を果たしました。