戦国時代における黄金の使われ方

日本の戦国時代(1467年~1615年)は、各地の戦国大名が覇を競い、合戦が繰り広げられた動乱の時代でした。この時代、黄金(こがね)は、極めて重要な資源であり、戦や外交、権力の誇示、宗教活動などさまざまな場面で使用されました。戦国大名たちは黄金を積極的に活用し、戦費を賄い、武器や兵を整え、家臣を養い、寺社に寄進し、あるいは豪華な建築物を築くことで権力を示しました。

本稿では、戦国時代の黄金の使い道を、具体的な事例を多数挙げながら詳しく解説します。


1. 黄金の産出と流通

戦国時代、日本各地で金が産出されていました。特に有名な金山として以下のものがあります。

(1) 甲斐の黒川金山(武田氏)

武田信玄(1521~1573年)は、甲斐国(現在の山梨県)にあった黒川金山を活用し、多くの黄金を産出しました。この金山の収益によって信玄は強大な軍事力を維持し、合戦の費用を賄いました。

(2) 佐渡金山(上杉氏、後に豊臣氏・徳川氏)

佐渡(新潟県)の金山は戦国時代から金が産出されていました。上杉謙信(1530~1578年)は佐渡の金を活用して軍資金を確保しました。のちに豊臣秀吉や徳川家康も佐渡金山を支配し、莫大な収益を上げました。

(3) 石見銀山と黄金の取引

石見銀山(現在の島根県)では銀の産出が有名ですが、銀は黄金と交換するための貴重な資源でした。日本の銀は中国との貿易にも使われ、結果的に金との交換も盛んに行われました。

(4) 南蛮貿易による黄金の流通

戦国時代後期になると、ポルトガルやスペインとの南蛮貿易が活発になりました。日本の銀は東南アジアや中国で金と交換され、日本にも大量の金が流入しました。これにより、黄金の流通がさらに活発になりました。


2. 合戦における黄金の使い道

戦国時代の戦争には莫大な資金が必要でした。黄金はその軍資金として使われ、兵士の雇用、武器・甲冑の購入、馬の調達などに活用されました。

(1) 兵士の給料(軍役報酬)

戦国時代の武士や足軽(歩兵)は、戦に出る際に軍役報酬を受け取りました。多くの場合、米(兵糧)や布、銀で支払われましたが、戦功を挙げた者には黄金が与えられることもありました。

例:

  • 織田信長は、戦で功績を挙げた武将に黄金の茶器や金貨を授けた。
  • 豊臣秀吉は、石田三成や加藤清正らの有力武将に黄金を下賜し、忠誠を確保した。

(2) 甲冑・武具の購入

黄金は戦国武将にとって重要な武具の購入資金となりました。特に名工によって作られた甲冑や刀は高価であり、黄金で取引されることがありました。

例:

  • 武田信玄は、黒川金山の金を利用して最先端の鉄砲を大量に購入したとされる。
  • 織田信長は、黄金で装飾された豪華な甲冑を所有していた。

(3) 傭兵の雇用

戦国時代の大名たちは、黄金を使って浪人や傭兵を雇うこともありました。特に鉄砲隊や忍者など、特殊技能を持つ兵士の雇用には金が使われました。

例:

  • 織田信長は、大量の鉄砲兵を雇い、黄金を報酬として支払った。
  • 毛利輝元は、海賊衆(村上水軍)を雇い、金銭で忠誠を確保した。

3. 権力の誇示

戦国大名たちは、黄金を用いることで自らの権力を示しました。

(1) 黄金の茶器

千利休によって確立された「茶の湯」は、戦国武将の間で流行しました。茶器の中には黄金で装飾されたものもありました。

例:

  • 豊臣秀吉は「黄金の茶室」を作り、権力を誇示した。「金の茶器」を所有した。派手な金箔をあしらった宝物を家臣に褒美として与えた。

(2) 金箔瓦の城

織田信長は、自らの権力を示すために「黄金の瓦を使った城(安土城)」を建設しました。

豊臣秀吉もまた、絢爛豪華な金箔を使った城や建物を作らせました。

例:

  • 大坂城(金箔を使った豪華な装飾)
  • 聚楽第(天守に金箔瓦)
  • 伏見城(黄金の装飾を施した城)

(3) 黄金の屏風や絵画

黄金を使った屏風や襖絵は、戦国武将の権力を象徴するものでした。

例:

  • 狩野派による「金屏風」は、武将の屋敷や城に飾られた。
  • 織田信長の安土城には金色の襖絵があった。

4. 外交と贈答品

戦国時代の大名たちは、黄金を使って外交を有利に進めました。

(1) 南蛮貿易と黄金

戦国時代にはポルトガル・スペインとの貿易が活発になり、黄金は交易の重要な品目でした。

例:

  • 織田信長は南蛮貿易を奨励し、黄金の茶器を用いて外交を行った。
  • 島津氏は南蛮貿易で得た黄金を使い、鉄砲を購入した。

(2) 寺社への寄進

戦国武将たちは、寺社に黄金を寄進することで、家の繁栄を願いました。

例:

  • 豊臣秀吉は、京都の方広寺に「金の大仏」を建立した。
  • 上杉謙信は、戦勝祈願のために寺院に黄金を奉納した。

まとめ

戦国時代における黄金の使い道は、多岐にわたり、戦費、外交、宗教、文化などさまざまな場面で重要な役割を果たしました。特に、織田信長の黄金瓦の城、豊臣秀吉の黄金の茶室、武田信玄の金山資源などは、戦国時代の黄金文化の象徴的な事例です。

黄金は単なる富の象徴ではなく、戦国時代の覇権争いにおいて、最も重要な資源の一つだったのです。