織田信長の息子たちの中で、特に歴史的に重要なのが織田信忠(長男)・織田信雄(次男)・織田信孝(三男)の三兄弟です。

  • 長男・信忠は嫡男(正式な後継者)として活躍したが、本能寺の変で命を落とす
  • 次男・信雄は織田家の家督を継いだものの、無能と評されることが多い
  • 三男・信孝は戦場で活躍したが、最後は豊臣秀吉に敗れ自害

彼らはそれぞれ異なる才能と運命を持ち、戦国時代の激動に翻弄されました。本稿では、三兄弟の生涯・性格・能力・最期について詳しく比較し、彼らの違いを徹底解説します。


1. 織田三兄弟の基本情報

項目織田信忠(長男)織田信雄(次男)織田信孝(三男)
生年1557年?1558年?1558年?
母親生駒吉乃(正室)側室(長益院?)側室(不明)
役職織田家嫡男・家督継承者織田家当主(後継者)美濃の統治者
戦の実績武田家討伐(甲州征伐)などで活躍戦に弱く、たびたび敗北数々の戦場で活躍
統治能力優れた指導力を発揮無能と評されることが多い戦上手だが短気
最期本能寺の変で自害(1582年)豊臣秀吉に降伏し生き延びる豊臣秀吉に敗北し自害(1583年)

それでは、三兄弟の人生を詳しく見ていきましょう。


2. 織田信忠(長男):織田家を継ぐはずだった男

wikipediaより参照:織田信忠 図像 総見寺蔵

▶ 織田家の正式な後継者

織田信忠(おだ のぶただ)は、信長の長男として生まれ、織田家の正式な後継者として期待されました。幼名は「奇妙丸(きみょうまる)」です。

1579年、信長は信忠を正式な家督相続人とし、岐阜城の城主に任命しました。これにより、織田家の中核を担う存在となります。

▶ 戦の実績と評価

  • 長篠の戦い(1575年):信長の軍勢の一員として初陣を飾る
  • 信貴山城の戦い(1579年):松永久秀を討伐
  • 甲州征伐(1582年):武田家を滅ぼし、武田勝頼を自害に追い込む

信忠は、戦上手であり、戦略的にも優れていたとされています。信長の期待も大きく、家督を継げば織田家の天下統一が確実になったと言われます。

▶ 本能寺の変での最期(1582年)

しかし、1582年に起こった本能寺の変で、父・信長が明智光秀に討たれます。信忠は京都の二条御所で奮戦するものの、最終的には包囲されて自害。26歳で命を落としました。

🔴 もし信忠が生き延びていれば、織田家は天下統一を果たしていた可能性が高い


3. 織田信雄(次男):無能と評された織田家の当主

wikipediaより参照:織田信雄 図像(總見寺蔵)

▶ 織田家の当主になるも…

織田信雄(おだ のぶかつ)は、信忠が死んだことで織田家の当主となります。しかし、彼は「無能」とされることが多く、信長や信忠ほどの戦略眼や統治力がありませんでした。

▶ 失敗ばかりの戦歴

  • 小牧・長久手の戦い(1584年):徳川家康と共に豊臣秀吉と戦うが、講和に持ち込まれる
  • 1585年、秀吉に降伏:織田家の主導権を完全に失う
  • 1600年、関ヶ原の戦いで西軍に属するも敗北 → その後、徳川家康に許される

▶ 晩年は大名として生き延びる

信雄は、戦には弱かったものの、生存能力には長けていました。豊臣秀吉や徳川家康に何度も降伏し、最終的に大名として生き残ります。

🔵 「無能ではあるが、生き残る力はあった」


4. 織田信孝(三男):戦上手だったが短命の武将

▶ 美濃の統治者として活躍

信孝(おだ のぶたか)は、信長の三男として生まれ、美濃(現在の岐阜県)の統治者となりました。信雄と違い、信孝は戦に強く、軍事的才能を発揮しました。

▶ 戦の実績

  • 1582年、本能寺の変後に明智光秀討伐に参加(山崎の戦い)
  • 1583年、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉と対立

信孝は、柴田勝家とともに豊臣秀吉と対立し、織田家の正統な後継者としての地位を狙いました。しかし、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れると、信孝も孤立し、秀吉に降伏。

▶ 豊臣秀吉に敗れて自害(1583年)

信孝は岐阜城に幽閉されますが、最終的に秀吉に切腹を命じられ、1583年に自害しました。享年26歳。

🟠 戦上手だったが、短気で政治的には未熟だった


5. 三兄弟の比較まとめ

項目織田信忠(長男)織田信雄(次男)織田信孝(三男)
後継者の地位正式な後継者仕方なく後を継ぐ途中で排除される
戦の強さ強い(甲州征伐で活躍)弱い(戦に敗北が多い)戦上手(賤ヶ岳の戦い)
政治力高い低い低い
生存能力低い(自害)高い(何度も降伏し生存)低い(自害)

6. まとめ:三兄弟の運命

🔹 織田信忠 → 実力もあったが、本能寺の変で短命に終わる
🔹 織田信雄 → 無能だったが、生き延びて大名として存続
🔹 織田信孝 → 戦上手だったが、短気で秀吉に敗北し自害

もし信忠が生きていたら、織田家は天下を取っていたかもしれない… そんな歴史の「もしも」を考えさせる三兄弟でした。