まえだ としなが
1562-1614
享年53歳。


名称:利勝、従三位権中納言
居城:越前府中城→加賀松任城→
    越中守山城→越中富山城→
    加賀金沢城→越中高岡城


■1562年
  前田利家の長男として誕生。

■1581年 19才
  父・利家が能登一国を領すと、父の
  旧領越前府中3万石の城主となる。
  父・利家に似て、武勇のひいで、織
  田軍の新たな主峰として期待された
  。織田信長の娘・永姫を娶る。

■1583年 21才
  賤ヶ岳の戦いでは、柴田軍の先鋒を
  務めるが、父・利家が秀吉に降伏す
  ると一転して、秀吉に近侍て北陸平
  定に尽力する。
  以後、豊臣政権下で着実に地歩を固
  め、加賀松任城4万石、越中守山城
  、越中富山城と次々に累進し、30万
  石を領する大名となった。

■1598年 36才
  従三位権中納言に叙任し、前田家
  は親子で繁栄の絶頂を迎える。

■1599年 37才
  利長は、父・利家が没するとその遺
  領の越中一国、加賀二郡13万5000
  石を相続し、金沢城に移る。
  父・利家に代わり、豊臣政権の五大
  老に就任した利長だったが、加賀在
  国中に謀反の意ありという噂が起こ
  り、徳川家康を中心とする征伐軍が
  編成される事態に陥る。だが、秀吉
  没後の天下の情勢を的確に見通し
  た母・芳春院の提言で芳春院自らが
  江戸に人質に出ることで危機を脱す
  る。

■1600年 38才
  関ケ原合戦では、東軍に属し、西軍
  に属した山口正弘の加賀大聖寺城
  を攻略。
  その武功により、加賀、能登、越前
  の三国の太守に任ぜられ、百万石を
  越す大大名となる。

■1605年 43才
  利長は、家督を子の利常に譲り、越
  中高岡城に移る。

■1614年 52才
  隠居の城・越中高岡城にて、没す。
  享年53才。
  利長は、父譲りの武勇で名を馳せた
  名将であったが、天下争奪戦には、
  向かず競う事無く、前田家の家名を
  保つことに専念。天下取りに一番近
  い地位に至るも、徳川家の前に降し
  、徳川政権下で最大の外様大名とし
  て、幕末まで武勲で興した前田家の
  家名を保っていくことと成る。