福原 貞俊
ふくはら さだとし
1512?/1516?-1593

名称:弥五郎、内蔵人、左近允、
出羽守、上総守
居城:安芸鈴尾城

■安芸福原氏11代目当主。

福原広俊の嫡男として生まれる。

曽祖父・広俊の娘が毛利弘元の

正室となっており、毛利興元

や毛利元就を産んでいる。

そのため、父・広俊は毛利一族

として、発言権が大きかった。

毛利家譜代の家臣団の中で、
その筆頭の首座を独占したの
が福原貞俊である。

すぐれた政務能力を持ち、毛利
隆元が没すると、その代役を務
めて重要な評定の切り盛りを成
した。

若き輝元の補佐を元就に命じら
れ、これをよく補佐し、毛利家中
屈指の名軍師と謳われた。

毛利家臣団の中では一族以上
の信頼を元就から得ていたよう
で、表裏のない正直者として、
諸将からも愛された。

■軍事面では、小早川隆景に従い
、山陽方面の制圧戦に参軍。
各地ですぐれた軍師振りを見せ
た。長子に福原元俊がいる。

元就死後、毛利輝元を補佐する四人衆

(吉川元春、小早川隆景、口羽通良、

福原貞俊)に列した。