おがさわら やすひろ
1531-1597
享年67歳。


名称:兵部少輔、播磨守、康広


■小笠原兵部少輔元続の子。
  父・元続は、京都で名を馳せた兵法家であったが、北条氏康の招きに応じ、関東の地に降り立つ。

  それ以来、後北条家の将兵の統率から軍略の主軸として小笠原家は活躍した。

■康弘も北条家の重職・武者奉行を務め、北条氏軍略の主軸として活躍。

  1590年、北条氏が滅亡すると康弘は、主君・氏直に従い、高野山に登ったが新たに関東入りした徳川家康にその才覚を惜しまれ、氏直没後、関東の地に呼び戻され、家康の数多くいる軍師の一人となり、家康やその家臣を指導した。