ひらが もとすけ

1547-1645 享年99歳

■通称:小法師、新四郎、兵庫頭、四郎兵衛、茂庵

■官位:従五位下、木工頭

平賀広相の嫡子。1567年永禄10年、父・広相が没すると、家督を継いだ。

毛利氏が最大勢力を築いた時期、平賀氏の所領も最大となり1万8千石となった。

陪臣の身であったが、天下人・豊臣秀吉に気に入られ、1596年文禄5年には従五位下に叙位され、豊臣姓を下賜された。

1600年慶長5年、関ヶ原合戦後、毛利氏は減封となり、防長2ヶ国になると、平賀氏の所領も縮小し、4千石となった。所領の急激な減封のため、苦悩した元相は、1601年慶長6年、家禄を毛利家に返上して、京都へ上洛し、隠棲生活を送った。

後に元相の嫡男・平賀元忠が300石にて、毛利家家臣に復帰している。

1636年寛永13年、元相の孫・平賀就忠が稀に見る長寿を成した元相を萩に迎える要請を出し、元相はこれに応じた。

最晩年は萩の地にて、毛利家と平賀家の行く末を静かに見守った。