おがさわら うじおき
1529-1569 享年41歳。
別名:彦五郎、与八郎、氏清、美作守
信濃守護・小笠原長時の従兄弟である小笠原春義の長男として生まれる。
母は、今川氏親の娘。
遠江高天神城主に拠る高天神小笠原家の家督を継ぐ。
氏興が家督を継いだ頃から、駿河の今川義元を主君として仕えた。
1560年桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にすると、氏興は、今川家の家督を継いだ今川氏真に変わらず仕えた。
しかし、氏真は戦国大名としての雄略に欠け、武人としての胆力もなかった。京文化を好む公家のような人物であったがため、甲斐の武田信玄、三河の徳川家康に挟撃され、天下の副将軍とまで謳われた今川家は没落した。
氏興は遠江に侵攻してきた徳川家康に内応し、弟の清広、義頼とともに、徳川方に属す。さらに今川氏真が籠もる遠江掛川城を袋井方面から攻撃し武功を上げた。
氏真は四面楚歌となったことを悟り、掛川城を捨て、小田原の後北条氏を頼りに亡命した。
以後、氏興は、弟たちとともに徳川家康に仕え、遠江の抑えとして、馬伏塚城を居城とした。