おがさわら よしより

1535-1613 享年79歳。

■通称:豊松、弥八郎、彦五郎、茂頼、道鉄。

小笠原春義の四男にて、兄に小笠原長忠がいる。母は、今川氏親の娘。

父・兄と共に義頼は当初、今川氏真に仕えた。だが、1568年駿河に武田軍が乱入すると、義頼は兄・長忠と共に徳川家康に寝返り、今川氏真が籠もる掛川城を袋井方面から攻撃し、戦功を上げた。

1574年天正2年、第一次高天神城の戦いにて、兄・長忠は武田勝頼の軍門に降る。再三の救援要請を徳川家康が無視したため、城兵の助命を条件にした降伏であった。

義頼は、この戦いの後も、徳川方に属し、大須賀康高と行動をともにし、1580年には、横須賀城に入った。

天下太平後は、出家して道鉄と号し、余生を送った。