戦国大名にとって、寿命は家名存続、繁栄に直結する大事であった。

いかに才能優れた戦国大名と言えども、寿命の長短がその後の家名に大きな影響を与えた。

天下取りレースは、長寿もまた、必要な要素であった。
長寿を成せば、武田信玄が上洛を果たしていただろう。

甲相駿三国同盟を成した、武田信玄、北条氏康、今川義元は、それぞれを背後に背負い、各自領土拡大戦を展開した。

天下統一後、徳川家康の天下争奪戦は、長寿の全うがもたらしたとも言える。

西国の雄・毛利元就は、領国拡大を成し、京都上洛も狙える位置に達していたが、天下を争ってはならないと遺訓を残している。毛利家中に天下の雌雄を決する逸材を見いだせなかったゆえの発言か。

戦国大名2世の生没年比較 戦乱の末、滅亡する戦国大名も多かった。
無事に戦国乱世を息抜き、家名存続できた家は数少ない。

天下に名を馳せた名将たちの跡目を継いだ2代目諸将は、栄枯盛衰の明暗が分かれた。

武田勝頼、北条氏政は、ともに戦国乱世を生き残ることができなかった。

織田信忠、豊臣秀頼もしかり。

徳川秀忠、上杉景勝、毛利輝元は、関ヶ原合戦を境に盛衰の明暗を分けた。

伊達政宗は、名将の跡目を継いだ諸将が活躍する年代に登場し、しのぎを削っていた。