sen59maruさんの記事一覧

【大河ドラマ】どうする家康 感想

【大河ドラマ】

戦国ファンタジー系の大河ドラマとして、今作品の評価は、賛否両論、意見が分かれるところが多いように見受けられる。 私としては、いち視聴者として、観るに良い意味で、21世紀の新時代にふさわしい果敢な試みであると感じる。 一つ […]

【大河ドラマ】どうする家康 感想2

【大河ドラマ】

感想 戦国ファンタジーとして、観るならば、歴史の制約された枠組みの中で、存分にエンターテイナーのシナリオ、演出、演技を披露していると思う。 型にはまった人物像は、今まで散々、小説やドラマ、映画で描き尽くされてきた。 21 […]

青木 一矩

豊臣家

あおき かずのり 1541~1600 享年60歳。 豊臣家家臣。 賤ヶ岳の戦いに従軍し活躍す。 数々の武功によろい越前国北之庄の地を拝命し、20万石を領す。 関ケ原合戦では、西軍に属すが、一矩自身は、病床にあり、戦後まも […]

青景 隆著

大内家

青景 隆著 あおかげ たかあきら 1514~1556 享年43歳。 大内家家臣。 文官として奉行を務めた。 杉重矩と対立するも、のちに和解す。 大内義隆の寵臣・相良武任の横暴に憤慨し、陶晴賢に讒言し、晴賢の謀反を引き起こ […]

播磨国(兵庫県)

播磨国

■赤松氏 赤松氏は、村上源氏の一党で、鎌倉幕府初期のころから、播磨国佐用郡の地頭をやっていた。 鎌倉期には、宇野氏を名乗っていたが、その末裔は、赤松氏を名乗った。 南北朝時代になると、、赤松則村(円心)が活躍し、播磨国、 […]

土佐国(高知県)

土佐国 諸国

■四国の名門一条氏 土佐国の南西の地は、土佐中村と呼ばれ、平安時代荘園領主の時世に五摂家の一条氏宗家が領した土地だった。荘園時代にこの地に移り住み、長年支配し土着化した。 土佐中村の荘園で対明貿易で財を成したのは、一条教 […]

讃岐国(香川県)

諸国 讃岐国

■ 豊臣秀吉が1590年に起こした小田原征伐の際、戦場をド派手な格好で勇猛果敢に駆け巡り、衆目を集めた武者がいた。甲冑にたくさんの鈴をつけ、金箔を貼り付けた甲冑は、敵味方入り乱れる中でも一際目立ったという。 秀吉が何者か […]

阿波国(徳島県)

諸国 阿波国

■平島公方(阿波公方) 10代将軍・足利義稙(よしたね)は、細川家の内紛に翻弄され、京を追われ、淡路を経て、四国へ渡る。徳島県鳴門市にある撫養(むや)にて没した。 義稙の養子・義維(よしつな)は、阿波国諸侯の後援を得て、 […]

伊達 忠宗

伊達家

だて ただむね 1600-1658 享年59歳。 伊達政宗の嫡子として生まれる。異母兄・秀宗がいる。 母は、田村清顕の娘・愛姫。 1607年、徳川家康は、誕生したばかりの娘五女・市姫を忠宗の許嫁とした。 3年後に市姫が夭 […]

伊達 秀宗

伊達家

だて ひでむね 1591-1658 享年68歳。 名称:兵五郎、秀弘 伊達政宗の庶長子として生まれる。母は新造の方と伝わる。 生まれた時、正宗の正室・愛姫に男子がなかったことから、周囲から御曹司様と呼ばれて育つ。 159 […]

阿南姫

伊達家

おなみひめ 別称:大乗院(だいじょういん) 1541~1602 享年62歳。 伊達晴宗の長女。母は、久保姫。兄に岩城親隆、弟に伊達輝宗らがいる。 妹に蘆名盛興室・蘆名盛隆室の露姫(彦姫)がいる。 二階堂盛義の正室となる。 […]

武田信玄 玄米パワーの意外な落とし穴

武田家 長寿

武田信玄を始め、多くの戦国武将の常食は、玄米であった。 玄米は、現代においても、理想の完全食と呼ばれるほど、バランス良く栄養満点の食材とされている。 白米は、籾殻を取り除いた玄米からさらに精製して米糠(こめぬか)や胚芽を […]

戦国米寿 北条早雲

北条家 長寿

後北条家を興隆させた初代当主・北条早雲。 伊勢新九郎長氏と称していた若い頃は、京都にて室町幕府に出仕していた。 近年は、早雲69歳説が唱えられているが一般的には、88歳の米寿まで天寿を全うしたとして知られている。 彼が長 […]

戦国武将 長寿ランキング

長寿

”人間五十年”と織田信長が好んで舞った敦盛の言葉は、戦国時代の一般的寿命の目安が五十歳であったようだ。そんな戦国乱世の中にあって、長寿を全うした戦国武将たちがたくさんいる。 名の知れた戦国武将の中で、特に長寿であった武将 […]

母里 太兵衛

黒田家

もり たへえ 1556~1615 初めの姓は曽我、晩年の姓は毛利を称した。 通称:万助、多兵衛尉、太兵衛尉。 諱は友信。 但馬守 1569年、14歳にして、黒田官兵衛に仕えた。 1573年、初陣を果たし、その後、四半世紀 […]

星姫(高城殿)

伊東家 肝付家

ほしひめ(たかじょうどの) 1540?~1582? 享年43歳。 伊東義祐の娘。 大隅国の戦国大名・肝付家十七代目当主・肝付良兼に正室として嫁ぐ 三男一女(一説には二女)を産んだが、男子は嫡子とはならなかった。 良兼の跡 […]

鶴姫(北条家)

北条家 武田家

つるひめ 1564~1582 享年19歳。 北条氏康の娘。 1577年、北条氏と武田氏の同盟を成すと、鶴姫は武田勝頼に嫁いだ。 1578年、北条・武田同盟は破断したが、勝頼・鶴姫夫妻の仲は円満であった。 1582年、武田 […]

澪姫(足利家)

三好家 足利家

みおひめ 1545~1573 享年29歳。 室町幕府十二代将軍・足利義晴の娘。 十三代将軍・足利義輝、十五代将軍・足利義昭は澪姫の実兄。 1569年、織田信長の仲介で三好義継に嫁した。 1573年、義継は、将軍義昭の反信 […]

汀姫(御南)

島津家 肝付家

なぎさひめ(おみなみ) 1512?~1582? 享年71? 島津忠良の長女。 1527年に肝付兼続に嫁ぐ。 汀姫は、「御南さま」と呼ばれ、島津氏と肝付氏の同盟を取り持った。 1561年以降、両家の間が不和となると、夫・兼 […]

露姫

伊達家 蘆名家

つゆひめ 1552?~1588 享年37?歳 別称:彦姫(ひこひめ) 伊達晴宗の四女として生まれる。母は、久保姫。 兄に岩城親隆、伊達輝宗らがいる。 会津の雄・蘆名家の若き当主・蘆名盛興に嫁ぐ。 1575年、盛興が29歳 […]

霧姫(結城家)

結城家

きりひめ 1525?~1565? 享年41?歳。 関東の名族・結城家当主・結城政朝の娘。 1540年~1541年頃、宇都宮尚綱へと嫁した。 1543年(または1545年)に宇都宮家の嫡男・広綱を産む。 しかし、1541年 […]

茜姫(宝寿院)

伊達家 佐竹家

かおるひめ(ほうじゅいん) 1550?~1610? 享年61?歳 伊達晴宗の五女として生まれる。 常陸の雄にして、いとこの間柄であった佐竹義重に嫁ぐ。 嫡男・佐竹義宣、蘆名義広、江戸実通室(のち高倉永慶室)、岩城貞隆、岩 […]

香姫(一色家)

大友家

かおるひめ 1533?~1564? 享年32?歳。 若狭国守護・一色義清の娘。 1547年~1448年頃に九州豊後国の大友義鎮(宗麟)に嫁いだ。 1550年、大友家中を揺るがした「二階崩れの変」が起こり、 大友義鎮は、見 […]

花姫(愛称:しょうしょう)

佐竹家

はなひめ 1549?~1610? 享年62?歳 父は、佐竹義昭。母は、岩城重隆の娘。 1565年~1567年頃に宇都宮広綱に嫁いでいる。 1568年に嫡子・国綱を産む。 1580年、夫・広綱が没すと、花姫は、幼少の国綱の […]

杏姫(北条家)

今川家 北条家

きょうひめ 1540?~1613 享年74?歳。 北条氏康の娘。 1554年、甲斐・相模・駿河の三国同盟が成立すると、 同盟の証として、杏姫は、駿河の今川氏真へと嫁ぐ。 四男一女をもうけ、夫・氏真とも仲睦まじく暮らした。 […]

楓姫(細川家)

朝倉家

かえでひめ 1540?~1570? 享年30?歳。 室町幕府管領家・細川晴元の娘。 北陸の雄・朝倉義景に嫁ぐ。 父・晴元が京都から追われると、楓姫は、朝倉家中での存在感を失う。 一女を産んだ後、早世した。

菊姫(甲斐御前)

上杉家 武田家

きくひめ(かいごぜん) 1563~1648 享年86歳。 武田信玄の娘。 姉に松姫がいる。 兄・武田勝頼が越後の上杉景勝と同盟を結ぶと、 政略結婚として、1578年、菊姫は、上杉景勝に嫁いだ。甲斐御前と呼ばれた。 158 […]

菊姫

きくひめ 1520?~1580? 享年61?歳。 六角定頼の娘として生まれる。 1529年、六角氏と細川氏との間で政略結婚が結ばれ、 菊姫は、細川晴元と婚約する。 だが、この時は、菊姫が幼少だったため、 実際に嫁いだのは […]

翠姫(将軍足利家)

足利家

すいひめ 1526~1575? 享年50?歳 足利義晴の娘として生まれる。 若狭国の守護・武田義統に輿入れし、嫡子となる武田元明を産む。 武田義統・元明父子の不和が起こる。 1566年頃、遠戚として若狭に逃れていた足利義 […]

翠姫

すいひめ 1514?~1570? 享年57?歳。 六角定頼の娘。 父・定頼は、娘を細川晴元、土岐頼芸、北畠具教へ嫁がせている。 翠姫もまた、父・定頼の政略結婚として、若狭守護・武田信豊に嫁した。 1533年頃、夫・信豊は […]

茜姫

伊達家

あかねひめ 1509~1548? 享年40?歳。 伊達稙宗の娘。 相馬顕胤に嫁ぎ、一男一女をもうける。 長男は、後に相馬家十五代目当主・相馬盛胤。長女は、のちに田村清顕に嫁ぐ。 実家の伊達家が天文の乱で混乱すると、茜姫の […]

ジュスタ

キリシタン 大友家

?-? 大友宗麟の娘。 1560年、土佐の一条兼定に嫁ぐ。 その後、離別し、豊後国の国人衆・清田鎮忠の元へ再嫁す。 1578年、娘を亡くし、1580年には、キリシタンの夫・鎮忠を亡くす。 これを気に、彼女は、1582年頃 […]

松姫(信松尼)

武田家

まつひめ(しんしょうに) 1561~1616 享年56 武田信玄の娘。 1567年、織田信長との同盟のため、織田信長の嫡男・信忠との婚約が決まる。 だが、その後、両家の決裂によって、婚姻も破断となった。 1582年、武田 […]

皐姫(定恵院)

今川家 武田家

さつきひめ(ていけいいん) 1519~1570? 52?歳。 武田信虎の娘。 武田信玄の一番上の姉。 19歳で20歳の今川義元の元へ正室として嫁ぐ。 氏真、ほか二女を産んだ。 今川家当主の正室として、家裁を取り仕切る一方 […]

蘭姫(瑞渓院)

今川家 北条家

らんひめ(ずいけいいん) 1520?-1995? 享年76?歳 今川氏親の娘。 後北条家の当主・北条氏康の元へ嫁ぎ、正室となる。 氏政、氏照、氏邦、氏規を産む。後北条家の次の世代の支柱となる北条兄弟の母となる。 氏康は、 […]

桜姫(黄梅院)

北条家 武田家

おうひめ(おうばいいん) 1543-1569 享年27歳 武田信玄の娘として、甲斐国に生まれる。 武田氏と北条氏の政略結婚として、北条氏政に嫁ぐ。 氏直、氏房、直重、氏定を産み、武田・北条の同盟の結束に貢献した。 だが、 […]

佐竹 義宣

佐竹家

さたけ よしのぶ 1570-1633 享年64歳。 幼名:徳寿丸 別名:次郎、常陸侍従 官位:従四位上左近衛中将、右京大夫 佐竹氏19代当主。 佐竹義重の長男。母は、伊達晴宗の娘。 伊達政宗とは母方の従兄にあたる。 佐竹 […]

佐竹 義重

佐竹家

さたけ よししげ 1547-1612 享年66歳。 幼名:徳寿丸 別名:次郎 渾名:鬼義重、坂東太郎 官位:常陸介 佐竹氏18代当主。 父は、佐竹氏17代当主・佐竹義昭、母は岩城重隆の娘。 正室は、伊達晴宗の娘・宝寿院。 […]

伊達 晴宗

伊達家

だて はるむね 1519-1578 享年60歳。 別名:次郎 諡号:保山公 官位:従四位下、左京大夫 室町幕府奥州探題 伊達家15代当主。 伊達家14代当主・伊達稙宗の長男として生まれる。 1533年(天文2年)、室町幕 […]

伊達 稙宗

伊達家

だて たねむね 1488-1565 享年78歳。 別名:次郎 初名:高宗 号:受天 官位:従四位下、左京大夫 1488年(長享2年)、伊達家13代目当主・伊達尚宗の嫡男として生まれる。 慣例により、足利11代将軍・足利義 […]

蘆名 盛舜

蘆名家

あしな もりきよ 1490-1553 享年64歳。 官位:遠江守 蘆名盛舜は、蘆名家第15代目当主。 蘆名盛高のことして生まれる。母は上杉房定の娘。 1521年(永正18年)2月、盛舜の兄にして蘆名家14代目当主であった […]

蘆名 盛氏

蘆名家

あしな もりうじ 1521-1580 享年60歳。 別名:幼名は、四郎丸。平四郎 号は、止々斎。 官位:従四位下、修理大夫 父は、蘆名家15代目当主・蘆名盛舜(あしなもりきよ)、母は、金上盛興の娘。 蘆名盛氏は、蘆名家十 […]

武田菱-甲斐武田家の家紋

家紋 武田家

甲斐武田家は、清和源氏の流れを汲む名門である。 河内源氏の源義光の次男・義清が常陸国那珂郡(なかぐん)武田郷に移り住み、武田の姓を名乗ったことに始まる。 後に義清とその子・清光は、罪を得て、父子ともども甲斐国へ流され、そ […]

足利家

足利家

あしかがけ 室町幕府を開き、武家中心の世の中となった中世日本において、統治者として君臨した。清和天皇七代の孫で源氏の嫡流・八幡太郎義家が下野国の足利基綱の娘に産ませた義国が源氏の流れをくむ足利家の始まりとなる。 足利義国 […]

真田家

真田家

さなだけ 真田家の本家は、滋野氏とされる。滋野氏は清和天皇の子・貞保親王にはじまるとする説、百済王の末裔とする説など諸説がある。 滋野朝臣恒蔭の子孫とする説が最も有力である。 滋野氏は、海野、禰津、望月の三家に分かれ、そ […]

三好 政勝

三好家

みよし まさかつ 1536-1631 享年96歳。 通称:孫四郎、任斎、右衛門大夫、因幡守、為三 摂津国江波城の城主。 三好政長の次男。 三好政康の実弟。 父・政長が三好長慶に攻め込まれ戦死すると、政勝は城を放棄して、香 […]

三好 長逸

三好家

みよし ながゆき 1515-1573 享年49歳。 通称:長緑、北斎、日向守 三好長則の子。 三好三人衆の一人。 三好長慶に従い、畿内を中心に各地を転戦した。 1555年、摂津国の軍勢を率いて、丹波国多紀郡八上城の波多野 […]

高城 胤吉

千葉家

たかぎ たねよし 1525-1579 享年55歳。 高城昌胤の子。 高城利胤の実弟。 高城一族の反感を買っていた利胤の子・親胤が家臣に誅殺されるとその後継となり、佐倉城城主となる。弱小大名であった千葉氏を守り立てた。

千葉 胤富

千葉家

ちば たねとみ 1520?-1574? 享年55?歳。 下野国唐沢山城城主。 千葉氏15代目当主。 剣豪・千葉房綱(のちの了伯)の実兄とも伝わる。 軍略に優れた武将と伝わる。

千葉 邦胤

北条家 千葉家

ちば くにたね 1557-1571 享年25歳。 通称:千葉介 千葉胤富の子。 下総国佐倉城城主。北条氏康の配下として、房総半島の里見氏と対立した。 臼井城の戦いでは、上杉謙信の軍勢を打ち破っている。 家臣との対立から、 […]

真田 大助

真田家

さなだ だいすけ 1602-1615 享年14歳。 通称:信昌、幸昌 真田信繁(幸村)の長子として生まれる。母は、大谷吉継の娘。 関ヶ原の戦い後、真田昌幸・幸村父子が紀伊国高野山麓の九度山に幽閉される。 大助はその地で生 […]

柳生 利厳

徳川家 柳生家

やぎゅう としよし 1579-1650 通称:兵介、長厳、如雲斎、伊予守 柳生新陰流の開祖・柳生宗厳の孫。 柳生厳勝の子として生まれる。 厳勝は柳生宗厳の長男であったが、初陣の際受けた銃創で不具と成り、隠遁していた。しか […]

柳生 宗矩

徳川家 柳生家

やぎゅう むねのり 1572-1646 享年75歳。 通称:新左衛門、又左衛門、但馬守 柳生新陰流を開祖した柳生宗厳の五男として生まれる。 没落気味となっていた柳生家が再び興隆したのは、徳川家康に見いだされたからである。 […]

柳生 宗厳

柳生家

やぎゅう むねよし 1527-1606 享年80歳。 通称:新介、新左衛門、石舟斎、但馬守 柳生家厳の長男。柳生新陰流の開祖。 若年にして戦国武将として立身出世することを諦め、剣術と兵法の大家とならんと欲す。 1563年 […]

宇山 久兼

尼子家

うやま ひさかね 1515?-1566 享年52?歳。 通称:飛騨守 尼子家の筆頭家老。 尼子晴久・義久に従い、1540年、毛利元就がこもる安芸国吉田郡山城を攻める。 1555年小笠原氏救援に参軍する。 1560年本城氏 […]

尼子 晴久

尼子家

あまご はるひさ 1514-1560 享年47歳。 通称:三郎四郎、修理大夫、民部少輔、詮久 尼子政久の嫡子として生まれる。 父・政久が阿用城の戦いで戦死すると祖父・尼子経久の庇護の下、育つ。 1537年、祖父・経久より […]

藤田 行政

明智家

ふじた ゆきまさ 1510?-1582 享年73?歳。 通称:伝五、伝五郎 明智光秀の父・明智光綱の代から仕えていたとされる。明智五宿老の一人。 前半生はよくわかっていない。 主君・光秀とともに機内を転戦した。 後に光秀 […]

溝尾 茂朝

明智家

みぞお しげとも 1538-1582 享年45歳。 通称:庄兵衛 『細川家記』1568年永禄11年7月10日の記録に明智光秀が足利義昭と織田信長を仲介することが記されており、その中で光秀の家人「溝尾庄兵衛」の名が見える。 […]

斎藤 利三

斎藤家 明智家

さいとう としみつ 1534-1582 享年49歳。 通称:内蔵助 主君:松山新介→斎藤義龍→稲葉一鉄→明智光秀 父は、斎藤利賢。母は、蜷川親順の娘という説あり。(蜷川家は室町幕府の重臣)次男として生まれる。 一節に斎藤 […]

小田原城(神奈川県小田原市)

北条家 豊臣家

神奈川県小田原市にある小田原城を訪問しました。 訪問日は、2020年1月4日です。 お正月ともあって、小田原駅は混雑していました。 新年のめでたい日は、賑わいも一層華やいでいますね。 日も暮れた頃の小田原城は、ライトアッ […]

梶峰城の戦い

合戦 大内家 龍造寺家

天文5年(1536年)9月4日 陶興房VS少弐資元 佐賀県多久市多久町 『北肥戦誌』『普聞集』『歴代鎮西志』  北九州の名門・少弐資元は、天文3年(1534年)10月、龍造寺家兼の仲介を得て、中国の雄・大内義隆と膠着状態 […]

勢福寺城の戦い

合戦 大内家 龍造寺家

せいふくじじょうのたたかい 天文3年(1534年)10月30日 大内義隆VS少弐資元・少弐冬尚 場所:佐賀県神埼市神埼町 史料:『大曲記』『北肥戦誌』『歴代鎮西要略』 中国の雄・大内義隆は、三津山合戦の敗報に接すると、重 […]

宮部 継潤

浅井家 豊臣家

みやべ けいじゅん 1528-1599 享年72歳。 浅井家に仕え、勇猛知略に長けた武将として、知られた。 1570年姉川の戦い以後、織田方に寝返り、のちに羽柴秀吉に従い、四国征伐、九州征伐へと出陣し、活躍した。

田中 吉政

浅井家 豊臣家

たなか よしまさ 1548-1609 享年62歳。 宮部継潤麾下の武将。後に豊臣秀吉より吉の一字を賜るなど豊と麾下の武将として重用される。 関ヶ原の戦いでは、東軍に属して戦い、戦後は筑後・柳川32万石の大身となる。

渡辺 勘兵衛

浅井家 豊臣家

わたなべ かんべえ 1562-1640 享年79歳。 別名:水庵 近江国阿辻氏の家臣。その後、羽柴秀勝、中村一氏の家臣へと転身した。 山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小田原の役など豊臣方武将として、活躍し、その武勇を発揮した。

小倉城(福岡県小倉市)

小笠原家

福岡県小倉市にある小倉城に行ってきました。 訪問日:2019年9月21日 小倉城(こくらじょう)は、毛利元就が九州遠戦で領有した際に、築城した城とされています。 その後、豊臣政権期に細川忠興が入り、小倉城を拡張させました […]

熊姫(妙高院)

徳川家 本多家

くまひめ(みょうこういん) 1577-1626 享年50歳 別名:国姫 1577年天正5年7月、徳川家康の嫡男・松平信康の次女として、三河国岡崎城にて生まれる。母は織田信長の長女・徳姫。 1579年天正7年、父・信康が武 […]

万姫(敬台院)

小笠原家 徳川家

まんひめ(けいだいいん) 別名:お虎 1592-1666 享年75歳 徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮の正室。 父は、信濃松本藩初代藩主・小笠原秀政。養父は徳川家康。母は登久姫(松平信康の長女)。 1592年文禄元年、徳川家家 […]

登久姫

小笠原家 徳川家

とくひめ 1576-1607 享年32歳 別名:峯高院 徳川家康の長男・松平信康の長女。母は織田信長の娘・徳姫。 信濃松本藩初代藩主・小笠原秀政の正室となる。 1576年天正4年3月、三河国岡崎城にて生まれる。 登久姫が […]

小笠原 長隆

三好家 上杉家 小笠原家

おがさわら ながたか 1540?-1581 享年42?歳 別名:又次郎、右馬助 府中小笠原家にして信濃守護であった小笠原長時の長男。 小笠原貞慶の兄。 子に小笠原諸島を発見したとされる小笠原貞頼がいるとされるが明確ではな […]

小笠原 洞雪斎

小笠原家

おがさわら どうせっさい 1525?-1588? 享年64?歳 別名:孫次郎、貞種、玄也 信濃守護にして、府中小笠原家当主・小笠原長棟の四男として生まれる。 母は浦野弾正忠の娘。 信濃国林城にて生まれる。1550年、武田 […]

小笠原 氏興

小笠原家

おがさわら うじおき 1529-1569 享年41歳。 別名:彦五郎、与八郎、氏清、美作守 信濃守護・小笠原長時の従兄弟である小笠原春義の長男として生まれる。 母は、今川氏親の娘。 遠江高天神城主に拠る高天神小笠原家の家 […]

小笠原 春義

小笠原家

おがさわら はるよし 1510?-1572 享年63?歳 別名:豊千代、與八郎、彦太郎、左京太夫、春茂 小笠原長高の長男として生まれる。 1521年大永元年、高天神城主であった福島正成が今川氏親に離反し、独立すると春義は […]

小笠原 長高

小笠原家

おがさわら ながたか 1488-1544 享年57歳。 別名:豊松丸、左京大夫、彦五郎、右馬助 府中小笠原家にして信濃守護である小笠原貞朝の長男として生まれる。 母は武田氏の娘。 父・貞朝は、先妻にして、武田氏の娘との間 […]

小笠原 長棟

小笠原家

おがさわら ながむね 1492-1542 享年51歳。 別名:豊松丸、又二郎、民部 官位:従四位下、信濃守、大膳大夫、修理大夫 信濃国にある林城を本拠とする府中小笠原家にして、信濃守護である小笠原貞朝の次男として生まれる […]

小笠原 信定

三好家 小笠原家

おがさわら のぶさだ 1521-1569 享年49歳。 別名:孫次郎、民部大輔。 府中小笠原家の一族で、信濃守護・小笠原長棟の次男として生まれる。 母は浦野氏。 兄に信濃守護となる小笠原長時がいる。 分家の松尾小笠原家に […]

日根野 高吉

斎藤家 織田家 豊臣家

ひねの たかよし 1539-1600 享年52歳。 主君:斎藤義龍→斎藤龍興→織田信長→織田信孝→豊臣秀吉→豊臣秀頼 別名:高弘  美濃国の戦国大名・斎藤義龍、龍興父子に仕えた。 斎藤龍興が尾張国の織田信長に追われると、 […]

高島城(長野県諏訪市)

長野県諏訪市にある高島城を訪問しました。 訪問日は、2019年9月7日です。 豊臣秀吉の家臣・日根野高吉が1590年に諏訪に移封され、高島城を築城しました。 諏訪高島城とも呼ぶ。 日根野高吉は、大坂城などを手掛けた築城の […]

武田信玄像・武田信虎像(山梨県甲府市甲府駅前)

武田信玄が治めた甲州を訪問しました。 訪問日:2019年9月7日です。 甲府駅前には、有名な武田信玄像と信玄の父・武田信虎の像がありました。 鎧甲冑姿で座した姿は、まさに大将の名にふさわしい風格ですね。 夜間もライトアッ […]

武田神社(山梨県甲府市)

武田家

武田信玄ゆかりの地、武田神社を訪問しました。 訪問日は、2019年9月7日です。 武田神社は、武田信玄が館を構えていた躑躅ケ崎館の跡地に建てられています。 21時過ぎに訪問してみましたが、夜間にもかかわらず、30人ほど参 […]

松本城(長野県松本市)

小笠原家

長野県松本市にある松本城を訪問しました。 訪問日は、2019年9月7日です。 松本城の天守は、天守が連結している天守群からなっています。天守群は、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら) […]

館山城(千葉県館山市)

千葉県館山市にある舘山城を訪問してきました。 館山城は戦国時代、房総半島の雄・里見氏の領土でしたが、北条氏の勢力拡大に伴い、里見氏の最後の抵抗の根城となった場所でした。 天守閣の中では、滝沢馬琴が著した『南総里見八犬伝』 […]

駿府城(静岡県静岡市)

今川家 徳川家

徳川家康が好んだ駿府城を訪問してきました。 徳川家康が、豊臣政権の時期から関東入りするまでの間、居城とした駿府城。 徳川家康が幕府を開いた後、隠居所としたのが駿府城。 大御所となってからは、天下泰平を駿府より眺め見た。 […]

掛川城(静岡県掛川市)

今川家 徳川家

静岡県掛川市にある掛川城を訪問してきました。 今川氏真が1569年、最後の抵抗を試みて、徳川家康と対峙した城として名高い。 豊臣政権のときには、山内一豊が城主を勤め、後に土佐へ立身出世を果たしたことから、出世城の一つに数 […]

浜松城(静岡県浜松市)

徳川家

徳川家康が17年間、居城として、以後、城主となった人物の多くが出世街道を進んでいったことから、”出世城”と呼ばれている浜松城。 今回は、この静岡県浜松市にある浜松城を訪問してきました。 浜松城の城郭は、東西約450m、南 […]

【動画】江戸城(東京都千代田区)

【動画】

天下の名城、江戸城を簡単に紹介している動画です。 江戸城は、江戸時代において、江城(こうじょう)という呼び名が一般的であったとされる。また、別名・千代田城とも呼ばれていた。 江戸城は、扇谷上杉家の家臣・太田道灌が1457 […]

【動画】竹田城(兵庫県朝来市)

【動画】

兵庫県朝来市にある青葉城について、簡単な紹介をしています。 千葉県のゆるキャラ「チーバくん」と 熊本県のゆるキャラ「くまモン」が絶妙な掛け合いで天空の名城・竹田城を紹介してくれています。 築城年は1431年永享3年と伝え […]

参考文献

参考文献

当サイトで参考としている参考文献一覧です。 新・歴史群像シリーズ6『戦国軍師伝 勝機を掴む武略と叡智』(学習研究社,2007年1月1日) 八幡和郎『戦国大名 県別国盗り物語』(PHP研究所,20060130) 藤本厳[修 […]

【動画】青葉城(宮城県仙台市)

【動画】 伊達家

宮城県仙台市にある青葉城について、簡単な紹介をしています。 千葉県のゆるキャラ「チーバくん」と 熊本県のゆるキャラ「くまモン」が絶妙な掛け合いで天下の名城・青葉城を紹介してくれています。 別名:仙台城、五城楼 築城年は1 […]

ページの先頭へ